朝のお話(宮野浩志先生)
今回もやはり親父にまつわる話をしたいと思います。
2・3年生は知っているかもしれませんが、1年生は親父のことを全く知らないと思いますので、簡単に紹介します。私の親父は、建具職人で、性格は職人気質そのままで、たいへん頑固であり、亭主関白です。そして、私たち息子には厳格な姿勢で接してきました。ちなみに、職員室の出席簿入れと文化祭で使うボードは親父が作ったものなので、機会があるときに見てください。
私は男4人兄弟で、一つ年下に小学校・中学校・高校と野球一筋に頑張った弟がいます。幼いころ弟は近所に同じ年の子が少なかったので、私と一緒に一つ上の私の友達と遊ぶことがほとんどでした。弟は負けん気が強く、年上の私たちと鬼ごっこや缶けり、野球などで遊んでも全くひるむことはなく、むしろ挑んでくる感じで、負けたりすると本気で悔しがり、泣いている姿をよく覚えています。そして何より生意気でした。私の友達は運動能力が高く、一緒に遊んでいたほとんどが何らかのスポーツをやっており、中学・高校では中心選手として県大会・東海大会・全国大会に出場し活躍していました。弟はそんな一つ年上の先輩に揉まれたせいか、運動能力は高く、小学校・中学校での野球では常にレギュラーとして活躍し、やはり全国レベルの大会に出場していました。
弟は甲子園出場を目指し、高校は野球の強豪校に進学しました。やはり弟は上級生の中でありながら、レギュラーを獲得していました。しかし、2年生のある時、怪我なのかスランプなのか覚えていませんが、レギュラーの座を奪われたことがありました。そこで、父親が私を呼び出し、弟のことに関して話し始めました。はっきりとは覚えていませんが、父親は「○○(弟の名前)がレギュラーを奪われたのはいいことだ。あいつはレギュラーになれなかった選手の気持ちがわかっていない。お前は補欠を経験しているが、あいつは今まで補欠になったことがない。レギュラーになれなかった選手の悔しさ、存在の大切さ、ありがたさをあいつは分かっていない。それを理解する良い機会だ。今度のことであいつがふてくされることがあれば叱るつもりだ。」とこんな感じで私に伝えました。その後、父親から弟に対しての話はありませんでした。その時はなんでそんな話を私にしたのかが分かりませんでしたが、父親は弟と話をする前に私に話をしたのだと思います。そして、弟が父親からの話を聞いても、ふてくされていたり、落ち込んでいたりしたらフォローを頼まれたんだと理解しました。弟は特にふてくさることもなくいたので、私の出番はなく自分で解決したのだと思います。そして弟はその後奮起したのかわかりませんが、レギュラーを再び獲得しました。
これからみなさんの中には、インターハイを控えている部活もあると思います。また、これから文化祭などクラスで活動することがあります。その時レギュラーとして、クラスの中心人物として行動する人は、さまざまな人の支えや協力を感じて、感謝を忘れてはいけないと思います。また、レギュラーになれなかった人や周りの人たちの想いを感じて、思い切りプレーをしてほしいと思います。そして、レギュラーになれなかった人やクラスの1人1人には自分の役割が必ずあるはずです。その役割をしっかり行うことで自分自身はもちろんですが、チーム・クラスもすばらしいものとなっていきます。これから、良いチーム、良いクラスになるよう切磋琢磨しながら、またそれぞれの存在に感謝しながら行動してください。
余談になりますが、我が宮野家は、月に1回程度、誕生会などで実家に集まります。その時、日時の調整、食事やプレゼントの準備など、さまざまな段取り、下準備をしてくれるのはほとんど小・中・高と生意気だった弟です。あの時、レギュラーを奪われ、補欠を経験したことで何か感じ取ったのかもしれません。5月1日は親父の70回目の誕生日です。そろそろ弟から連絡が来るころです。
以上でお話を終わります。ありがとうございました。