朝のお話(大倉信彦先生)~心を耕す~
5月10日 詩篇126編5節~6節 讃美歌 461
涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は束ねた穂を背負い喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
「学校農場には人生の全ての知恵が隠されている」
5月になって、今高校2年生を中心に学校農場で種を蒔いたり、作物を植え付けている。「獅子の子落とし」ではないが学校農場は石ころだらけ、粘土質で雨が降ると畑に水が貯まる。5、6年前は草も生えないほどの土地でした。大橋先生・秋葉先生の指導のもと中高の2年生が中心になって暗渠を堀り、水はけのよい畑にしていった。
それでもまだまだ石はゴロゴロしている。作業はまず石を拾うことから始まる。その後おもむろに牛糞を入れる。ここでサボると、野菜がうまく育たない。わかっているけど手を抜く人もいる。ところが、わかった時は後の祭りだ。畑に入れる牛糞。確かに牛の出した糞だと思うと気持ちの良いものではない。ところがこれが良い畑をつくる。
自然農法を実践している福岡正信さんが興味深いことを言っている。「どんな土地も肥えた土地とか痩せた土地とかはなくて、どんな土地も必要な養分は全て持っている。痩せている土地というのは、その土が持っている養分を離さないだけだ。」
彼の実践はとにかく植物を植え付ける。それが育ち枯れ、育ち枯れることを繰り返していくうちに土が柔らかくされ、握って離さなかった養分を離すようになると言う。
本校の農場ではその役割をするのが、牛糞だ。牛糞自体はたいして肥料分を持っているワケではない。牛糞を入れることで土がしっかり握りしめていた養分を野菜のために離して渡してくれるようになる。化学肥料を入れなくても育つ秘密がそこにある。作れば作るほど良い畑になって、より良く育つようになる。化学肥料で育てるとその時はこれ以上ないと思えるようなものがとれるのですが、作れば作るほど育ちが悪くなる。
農場は教えてくれるのです。
人の心も土地と同じように痩せた心はない。心のなかに全ての宝物が用意されていている。その宝物をがっちり掴んで離さない人、自分の宝物をどんどん渡している人。心が貧しいと言われている人は、自分の中にある素晴らしい宝物を離さないだけだ。
それでは畑の土に入れられた牛糞に代わるような、心のなかに入れたら良いものは何だろう。誰もが宝物を豊かに分け与えるようになるものは。
きっとそれは、悲しんでいる人と共に流す涙。自分ではどうすることもできない嘆きを持って流す涙。自分の心に入れる涙が良い心の畑を作る。牛糞、涙(憂い)どちらも嫌なものだけど牛糞が働いてがっちり握っていた養分を離すようになる。涙が心に働いてがっちり握っていた宝物を離すようになる。どちらも嫌なものだけど、これが良い豊かな畑をつくる。これが良いふわふわの心の畑をつくる。
M先生の詩を紹介します。
「心を耕す」
だれでも 心のなかに 小さな土地を持っている。
そこは深くて暗いところだ。
だから 自分でも気づかずにいる。
しかし、だれでも かならず小さな土地を持っている。
その土地を 自分で耕す。人の手を借りることはできない。
自分でクワを持ち 土を起こす。
やわらかな土にして ふっくらとさせる。
自分で耕した こころの土地に 種をまく。
自分で見つけた種をいくつもまいていく。
まいた種子は あたたかい土にねむらせる。
そして 大切に育てた植物を 大きく実らせる。
大きな木に鳥が宿り 人が憩うように 自分の土地を豊かなものにする。
そうしてくれるのは神さま。
神さまのために 自分の土地から刈り取る。