聖隷クリストファー中・高等学校
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朝のお話(田川先生)

「耳をすませば」

スタジオジブリというアニメーション制作会社に「耳をすませば」という作品があります。知っている人も多いと思います。ジブリの作品には、皆さんも知ってのとおり良い作品がたくさんあり、私もそのほとんどを見ていますが、中でも私はこの「耳をすませば」が一番好きです。

知らない人のために掻い摘んで説明すると、読書好きで明るい中学3年生の主人公、月島 雫が、図書館で借りる本の貸し出しカードにいつも天沢聖司という名前があることを見つけます。彼は以前から雫に想いを寄せており、実は何とか自分の名前に気づいてもらおうと雫の読みそうな本を先回りして読み漁っていたのでした。

やがて偶然出会った猫を追いかけて迷い込んだ見知らぬ土地で、雫は聖司の祖父と最初に出会います。それがきっかけとなり雫は聖司を知り、やがて二人は次第に接近していくのですが、雫は聖司には中学を卒業したらバイオリン職人になるため、イタリアに行く決意のあることを知ります。自分の才能を見てもらうため学校を休み、イタリアに短期修行に行くと言います。自分の夢や目標がはっきりしていて、どんどん行動に移していく聖司に比べ、なんとなく無目的に生活していた雫は焦りを感じ始めます。高校受験を控えた大事な時期であるにもかかわらず、雫は自分の中に抑えていた「物語を書いてみたい」という夢に挑戦してみることを決意します。好きな人に少しでも近づくためにです。雫は出来上がったら聖司の祖父に最初の読者になってもらう約束を取り付けると、取りつかれたように、物語を書き始めます。雫の家族は、一心不乱に机に向かう雫の姿に異変を感じますが、しかしどうやらそれは受験勉強ではないらしいことが分かり、最初に姉から叱られます。何をやっているのかを言おうとしない雫と姉は口論になります。現に雫の学年順位は100番も落ちていました。そこで雫のことに関して、家族会議になるのですが、私の好きなシーンの一つ目がここです。

何をやっているか尋ねても「言える時がきたら言う」としか返事をしない雫に、父親は「雫のしたいようにさせようか、母さん。一つしか生き方がないわけじゃないんだし・・・。」と言います。母親もすぐに同意し、さらに父親が「よしっ。雫、自分の信じる通りやってごらん。でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにもできないからね。」と認めながらも釘を刺すのです。両親は娘を信じ、自分達の願いと娘の人格は別のものであることや、一つしか生き方がないわけじゃないことをよく知っています。そして同時に世の中の厳しさについても教えています。口で言うのは簡単ですが、親としてとても勇気のいるセリフです。本当は勉強をしてほしいと思います。しかしそれだけ娘を信じ、大きな愛で包み込む両親の姿に、私は感動を覚えるのです。また雫にも親にそこまで信頼されるものが、それまでの生活があったのでしょう。

やがて「物語」は出来上がり、雫は聖司の祖父のもとを訪れます。最初の読者となった聖司の祖父は読み終えると、「とてもよかった。雫さんの切り出したばかりの原石をしっかり見せてもらいました。」と感想を述べますが、雫は「うそっ。本当のことを言ってください。書きたいことがまとまっていません。後半なんてめちゃくちゃ。自分でわかってるんです。」と言って泣き出してしまいます。

聖司の祖父は「よく頑張りましたね。あなたは素敵です。あわてることはない。時間をかけてしっかり自分を磨いてください」と慰めるのですが、私の好きなシーンの二つ目はこのあとです。

雫は言葉をかけてくれた聖司の祖父の前で泣きながら、「あたし、書いてみてわかったんです。書きたいだけじゃダメなんだってこと。もっと勉強しなきゃダメだって!」と叫ぶのです。私はこのシーンはとても大切なシーンだと思います。雫は、自分のやりたい気持ちだけで行動したところで、教養がなくては満足のいくものにはならないということに気づいたのです。このとき雫は、勉強は何のためにするのか、を掴んだのではないでしょうか。

勉強によって身についた教養は、将来やりたいことが見つかったときに自分を高いレベルにアシストしてくれます。教養が高ければ高いほど高いレベルでやりたいことができます。そこにはきっと充実感や満足感、幸福感があるのだと思います。恐らくこれこそが勉強の目的です。テストの点や高校、大学受験は目的ではなく途中の目標でしかないのではないでしょうか。このシーンは、ひとりの思春期の少女が、全力で行動してみた結果、とても大切なことにこと気が付いたことを映し出しています。そしてそこには両親の「子供を信じる勇気」という大きなアシストと、親に信じさせるだけの雫の生活ぶりがあったのです。

天沢聖司は、やはり卒業したらイタリアに行く決意を固めて短期修行から帰ってきました。聖司がいない間に雫が書いた「物語」の話題になったとき、雫は、「あたし背伸びして良かった。自分のこと前より少しわかったから」と答えます。ここもとてもいいシーンです。挑戦して初めて少しずつ自分を知ることができるのだ、というメッセージが伝わってくるからです。

映画はラストシーンを迎えます。聖司は雫に「自分が帰国するまで待っていてほしい。きっと一人前のバイオリン職人になる。そしたら自分と結婚してくれないか」と打ち明けます。快く了承した雫に興奮した聖司が、「ほんとか!やった!雫!大好きだ!」と叫んだところでエンディングとなるのです。

この映画を単なる中学生のラブストーリーだという意見もあります。また、あまりにも出来過ぎな話の成り行きやハッピーエンドに、現実離れしているとの意見もあるようです。もっとひどいものになると、自分の何もなかった中高時代を思い出すので、見たくないとの意見もあるようです。しかしそれは、この映画を単なるラブストーリーと見ているからでしょう。

私は 宮崎 駿 率いるスタジオジブリがそんなに浅い、軽い集団だとは思いません。ジブリの作品は皆が楽しめる娯楽性を大切にしながらも、必ず何かのメッセージを盛り込んであります。そういうものが含まれていない作品を、あの 宮崎 駿 が世に出したいと思うだろうかと思います。自分には何も無かったという人はその人が何もしなかったからです。

「耳をすませば」という作品は、私たちに思春期の不安や恋心や将来に対する焦り、そして決心や行動や挫折、また、それを取り巻く家族や友人の想いを、雫という明るく素直な少女を通して伝えてくれています。そして、「勉強は何のためにするのか」「挑戦は何のためにするのか」ということをメッセージとして、観る人、特に思春期の視聴者に向けて送っているように私には思えるのです。

もしかするとそれは、 宮崎 駿 自身がこれまでの制作活動の中で、勉強し、考え抜かないと良いものは作れないと感じてきたことなのかもしれません。それを若い人たちに伝えたいという思いもあって作品にしたのかもしれません。

もちろん、映画を見てどう感じるかはその人の自由です。いつか「耳をすませば」を見る機会があればこの話を思い出してくれると幸いです。

この話をまとめている最中に、作品中に使われる名曲、カントリーロードを口ずさんでいました。

私はまた近いうちにレンタルショップに11度目の「耳をすませば」を借りに行くことになるでしょう。そう思うと続けて女房の呆れ顔が浮かんできました。ブルブル頭を振って、消去したところでお話を終わりにします。

2013 9.5 礼拝の話

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